森の思考 vol.25|あわいに立つ─境界を超えて生きるということ
2025/06/30
「どちらでもない場所」に身を置く
川と陸のあいだに、湿地があるように。
海と空のあいだに、水平線があるように。
この世界には、はっきりと分けられない
「あわい(間)」の空間がある。
たとえば、自分と他者のあいだ。
仕事と暮らしのあいだ。
理想と現実のあいだ。
そのどちらにも寄りきれず、
定まらないような場所に、
わたしたちはときどき、ふと立ちすくむ。
でも、その「あわい」にこそ、
ほんとうの変容や創造が生まれるんじゃないかと、
ぼくは思う。
はっきりとは言えないけれど、
なにかが生まれそうな予感。
まだかたちになっていないけれど、
確かにそこにある気配。
そんな微細なゆらぎとともにいる時間は、
とても大切な時間だ。
リミナルな空間に開かれる感性
文化人類学では、
リミナリティ(liminality)という言葉がある。
通過儀礼の中間地点、
「前でも後でもない」曖昧な状態。
それは不安定で、不確かで、
同時にとても創造的な状態でもある。
ぼくたちが日常で経験する
「モヤモヤ」や「揺れ」も、
見方を変えれば、
次に進むための前触れなのかもしれない。
こうしたあわいの場は、
自然の中にもあって、
森と街の境界、山と空気のあいだ、葉と光のうつろい──
そういう場所では、感覚がひらきやすくなる。
そして、パーマカルチャーの世界では、
こうした境界のことを「エッジ(edge)」と呼ぶ。
森と草原、水と陸、異なる生態系の接点にこそ、
最も多くの生命が生まれ、多様性が育まれる。
境界はただの「あいまいさ」ではなく、
新しいつながりや変化が芽吹く
いのちのゆりかごのような場所なのだ。
曖昧さに身を置くとき
人はコントロールを手放す。
そして、ただ「感じる」ということを思い出す。
「決めない」ことが、新しい選択を生む
事業でも、ぼくはよく「あわい」に立ち戻る。
たとえば、方向性を定める前に、少し立ち止まって、
すぐに選ばず、曖昧なまま、感覚を確かめる。
何をやるかより先に、
「なぜ今、それをやろうとしているのか」
「この違和感は、どこからきているのか」
そんな問いをもったまま、
いったん「決めない」ことを許す。
この「決めない」という勇気は、
不確実さに耐える力でもある。
急いでかたちにするよりも、
変わりつつある自分をちゃんと見届けてから、
その変化に合った選択をする。
それは、結果的に「芯のある選択」になる気がする。
今日の問い
あなたはいま、どんな「あわい」に立っていますか?
理論背景・参考文献
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リミナリティ(Liminality):
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アーノルド・ヴァン・ヘネップ、ヴィクター・ターナーらの通過儀礼論。変容が起こる「境界の空間」。
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パーマカルチャーの「エッジ効果」:
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異なる生態系の境界に多様性と創造性が集中する。Mollison, B. & Holmgren, D. 『Permaculture: A Designers' Manual』ほか。
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アフォーダンス理論(J.J.ギブソン):
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環境と身体の関係の中で意味が生成されるという認知の考え方。空間の“あわい”は行動の可能性をひらく。
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中道(仏教):
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極端に偏らず、「あいだ」にあるバランスの実践。
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エージェンシャル・リアリズム(Karen Barad):
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存在は固定されず、関係性と出来事の「あわい」で生成されていく。
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ダイアローグ理論(デイヴィッド・ボーム):
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対話は明確な意見交換ではなく、「あいだ」にある未決定な空間にこそ意味が宿る。
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