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森の思考|vol.3 整えるのではなく、耕すということ

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森の思考|vol.3 整えるのではなく、耕すということ

森の思考|vol.3 整えるのではなく、耕すということ

2025/05/17

最近、「整える」という言葉をよく耳にするようになった。

部屋を整える。自律神経を整える。暮らしや思考を整える。
 

もちろん、整えることで呼吸が深くなったり、
安心できたりすることもある。

けれど、どこかで“正しさ”に縛られているような
息苦しさを感じる瞬間がある。

 

たとえば、こんなふうに。
 

「もっとこうした方がいい」

「あれはまだ整っていない」

「まだ余白が足りない」
 

そうして、まるで「理想の自分」をつくり続ける
工場のようになってしまう。
 

でも、自然の中に“整った状態”なんてあるだろうか?
 

森には、まっすぐな線も、同じリズムもない。
湿った地面、落ち葉、虫の通り道、陽の当たる場所と陰る場所。
すべてがそのまま在りながら、混ざり合い、めぐり、命をつないでいる。
 

そんな営みのなかで、ぼくが選び直している言葉がある。
それが「耕す」だ。
 

耕す、という言葉には、整えるとは違う身体性がある。
 

たとえば、不調や違和感があるとき、
それを早く“正常に戻す”のではなく、
「今の土の状態を知らせてくれるサイン」として受け取ってみる。

 

耕すとは、痛みや違和感の声に耳をすませ、
そこに空気を入れ、光を当て、水分を加え、
「めぐりが起こる余白」をつくるようなこと。
 

何かを“排除する”のではなく、
“一緒にいてもいい”という関係性を育てる行為だ。

 

ビジネスの世界では、「整えること」が強く求められる。
効率的に、合理的に、計画的に。
 

そのこと自体が悪いわけではない。
けれど、そればかりに偏ると、
“余白”や“文脈”や“あいだ”が消えてしまう。

 

人の自然なリズムや、感情のゆらぎを無視して、
数字や指標だけで評価しようとすると、
「人をどう動かすか」という発想に傾いてしまう。
 

だからこそ、“整える”よりも“耕す”ことを忘れないでいたい。

 

ぼくはクライアントさんに、よくこう伝える。
「自然に触れてみてください」
「神社や仏閣に行って、ただ佇んでみてください」
 

そこには、言葉にならない感覚や、
季節のにおい、木漏れ日の揺れ、祈りの場の静けさがある。
 

そうした空間に身を置くと、
自分がどれほど“思考の枠”の中にいたかに気づくことがある。
 

バイアスに気づき、思考がほどけ、
クリエイティブな発想が自然に湧いてくる。

余白とは、創造の土壌だ。

 

 

今日、もしあなたの中に、
理由のわからないしんどさや焦りがあるなら、
それを「固まった地面」として感じてみてほしい。
 

押さえつけず、放っておかず、 少し手をかけて、耕してみる。

それだけで、かすかに風が通りはじめることがある。
 


【今日の問い】
 

今日、わたしの土は、どんな状態にあるだろう?


このテーマについて、より感覚的に綴った敏捷をnoteにも書いています:
▶︎芽が出ないのは、種のせいじゃなかった

 

 

 


 

ー参考にしている背景ー

・パーマカルチャー:耕すとは関係性の再設計であり、排除ではなく共存を促す(Bill Mollison 他)

・身体心理学・ソマティック・アウェアネス:感じること=耕すこと(ユージン・ジェンドリン、ピーター・ラヴィーン)

:中動態の思考:「わたしがする」ではなく、「わたしに起きる」営みとしての生(國分功一郎『中動態の世界』)

・リジェネラティブ・リーダーシップ:自然の原理に学び、無駄の中に創造性を見出す(Giles Hutchins & Laura Storm『Regenerative Leadership』)


 


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