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森の思考|vol.35 「清浄」な社会が失ったもの − 鬼(他者)を内包するレジリエンス

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森の思考|vol.35 「清浄」な社会が失ったもの − 鬼(他者)を内包するレジリエンス

森の思考|vol.35 「清浄」な社会が失ったもの − 鬼(他者)を内包するレジリエンス

2026/02/04

今日は立春。

暦の上では春となりましたが、
昨日の節分、
皆さんは豆をまきましたか?

 

「鬼は外、福は内」
 

古くから続くこの儀式は、
私たちの社会のあり方を象徴する
興味深いメタファー(隠喩)を含んでいます。


 

一般的に、鬼は「災厄・邪気・病」の象徴であり、
それを排除(外へ)することで、
内側の平和(福)を保とうとする行為です。


 

これは「衛生(Hygiene)」の思想そのものです。
悪い菌を殺菌し、異物を排除して、
クリーンな環境を保つこと。


 

しかし、私が活動拠点としている大分県国東半島や、
「森の思考」という生態学的視点に立つとき、
この「鬼の排除」という行為に、
現代社会が抱える構造的な脆さを感じずにはいられません。


 

今回は、民俗学や哲学的な視点から、
「鬼(手に負えないもの)」との関係性を再考し、
ビジネスや生き方におけるレジリエンス(回復力)
について 紐解いてみたいと思います。


 

「畏敬」としての鬼、「排除」対象としての鬼
 

私が7年にわたり関わっている国東半島は、
「鬼が仏になった里」として
日本遺産に認定されています。


 

ここでは、鬼は単なる悪者ではありません。
修正鬼会(しゅじょうおにえ)という神事において、
鬼は祖先であり、豊穣をもたらす「まれびと(来訪神)」
として 迎え入れられます。


 

もちろん、鬼は荒ぶる自然のように恐ろしい側面も持ちます。
しかし、人々はその恐ろしさを排除するのではなく、
祭りを通じて対話し、鎮め、
そのエネルギーを生きる力へと転換してきました。


 

これは、神道と仏教が混ざり合う
「神仏習合(神仏一如)」の文化が、
清濁あわせ飲む土壌を育んできたからでもあります。


 

一方で、現代の都市的な感覚における
「鬼」はどうでしょうか。

それは理解不能な他者であり、
管理できないノイズであり、
システムを乱すバグとして扱われます。


 

現象学的に言えば、
自己の理解の範疇を超えた「絶対的な他者」を、
私たちは「鬼」と呼び、
それを「外」へ追いやることで 「内」の
同一性を保とうとしているのです。



 

殺菌された世界は、なぜ脆いのか?

 

ビジネスの世界でも、同じことが起きています。
「鬼は外」の論理で経営を行うと、
どうなるでしょうか。


 

・予測できない市場の変化
・理解しがたい部下の感情
・想定外のトラブル

 

これらをすべて「悪(鬼)」と見なし、
マニュアルや管理システムで
徹底的に排除しようとします。


 

短期的には、効率的で美しい
「工場」ができるかもしれません。

しかし、異質なものを排除し続けた組織は、
免疫力を失います。

 

無菌室で育った子供が抵抗力を持たないように、
「ノイズ(鬼)」との対話を避けてきた事業は、
想定外の事態(パンデミックや恐慌など)が
起きた瞬間、 脆くも崩れ去ってしまうのです。


 

森を見てください。
そこには、美しい木々だけでなく、
毒を持つ草も、不快な虫も、朽ちた倒木も存在します。

それら多様な「他者」が複雑に関係し合うことで、
森というシステムは強靭なレジリエンスを維持しています。


 

ネガティブ・ケイパビリティという知性
 

では、私たちは現代の「鬼」と
どう向き合えばよいのでしょうか。

 

ここで重要になるのが、
詩人ジョン・キーツが提唱し、
精神科医ビオンらが発展させた概念、

「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative Capability)」
です。

 

これは、
「どうにもならない事態や、
答えの出ない問いを前にして、
性急に解決や意味づけをせず、
その不確実さの中に留まり続ける能力」

のことです。


 

鬼(トラブルや不安)がやってきたとき、
すぐに豆を投げて追い払う(解決する)のではなく、
「なぜ、この鬼は現れたのか?」
「この違和感はどこから来るのか?」 と、
その不快な感情と共にしばらく居続けること。

 

白黒をつけず、
「鬼もまた、システムの一部である」
と捉え直す視座。

 

国東の人々が、鬼の面を被り、
その荒々しい息遣いと一体化するように。


 

私たちもまた、
ビジネスや暮らしの中に現れる「制御不能なもの」を、
敵として退治するのではなく、
自らの「影(シャドウ)」として統合していく
プロセスが 必要なのではないでしょうか。


 

「鬼」を内包する器として
 

「森の思考」において、
私たちはクライアントの方々に
「問題をすぐに解決しなくていい」と
お伝えすることがあります。


 

その「問題(鬼)」こそが、
次の成長や変容のために必要な
エネルギーを持っていることが多いからです。

 

もし今、あなたの事業や人生に
「手に負えない鬼」が現れているとしたら。

 

それは、追い払うべき敵ではなく、
あなたという生態系(ビオトープ)が
次のステージへ成熟するための
「まれびと」かもしれません。

 

豆を置いた手で、 少しだけ、
その鬼と対話してみませんか。


 

〜森の問い〜

あなたが今、必死に「外」へ追い出そうとしているものは、
本当に不要なものですか?

 

 

 

 

 

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Reference & Data Notes

本記事で触れた概念に関する補足です。
 

1. まれびと(客人)信仰と鬼
民俗学者の折口信夫が提唱した概念。外部(異界・他界)から来訪し、共同体に幸や富をもたらす霊的・神的な存在を指します。国東半島の「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」に登場する鬼は、まさにこの「まれびと」の性格を持ち、災いを払うと同時に、五穀豊穣をもたらす祖霊神としての側面を持っています。これは、善悪二元論(Good/Evil)では割り切れない、日本古来の多層的な世界観を表しています。

 

2. ネガティブ・ケイパビリティ(Negative Capability)
詩人ジョン・キーツが手紙の中で記し、後に精神分析の文脈で再評価された概念。「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中に留まり続ける能力」と定義されます。現代社会は「ポジティブ・ケイパビリティ(問題を速やかに解決する能力)」を偏重する傾向にありますが、創造性や真の共感、あるいは複雑な状況への適応には、この「負の能力」こそが不可欠であるとされています。

 

3. 神仏習合と国東半島
奈良時代から平安時代にかけて成立した、日本固有の神の信仰と、伝来した仏教信仰が融合した宗教現象。国東半島にある六郷満山(ろくごうまんざん)文化は、この神仏習合の形態が色濃く残る地域であり、宇佐神宮(八幡神)の神事と天台宗の仏教儀礼が一体化して継承されています。ここでは「神」と「仏」、「人」と「鬼」が対立するのではなく、相互に補完し合う関係性の中で世界が捉えられています。

 

 


 


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